2008年3月5日水曜日

第五回 -「穢れ」の対極としての「天皇(スメラミコト)」-

スメラミコトのスメラとは、「清浄な」「一点の穢れもない」という意味であり、ミコトは元来、神や天皇の発することばを指したが、後にそのような尊いことばを発する主体をも意味するようになった。
スメラミコトとは、「一点の穢れもない、この世で最も清浄なお方」ということである。
それでは、「清浄な」「一点の穢れもない」とは、具体的にどのような状態をあらわすのであろうか。

ここで手がかりとなるのは、初代の天皇=スメラミコトとなった天武が、即位のきっかけとなった壬申の乱において、軍事指揮権のすべてを長子の高市皇子に譲り、自身は一貫して戦線のはるか後方にあったことである。それは、一つには天武が当時僧侶だったためで、法体の身で陣頭に立つことを避けたためであろう。

当時は、死や流血は穢れ(「気枯れ」すなわち生命力の減退・消滅)として宗教的に忌むべき対象とされていたので、天武が死や流血に満ち満ちている戦場に一切その身をさらすことなく、未曾有の勝利を得て即位したことが天武の評価を飛躍的に高め、決定的なものとしたのである。

結果的にその一点が評価され、即位した天皇は「清浄な」「一点の穢れもない」極致に位置する存在と見なされるようになった、と考えられるのである。天皇の和訓であるスメラミコトも、壬申の乱から生まれてきたといえよう。

天皇は後に、天皇のこのような「清浄な」「一点の穢れのない」状態が、自分だけでなくその後継者たちにも確実に引き継がれていくために、古代特有の身分制度を創始した。

天皇とその一族と同様に姓をもたない階層を社会の底辺に設定し、かれらを国中の穢れが付着した賤身分としたのがそれである。これにより、賤身分のもつ穢れが強調されればされるほど、天皇の清浄性は制度的に保証され、その子孫たちに確実に継承されていくことになった。

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