仏教はいうまでもなく大陸から入ってきた。
記録を見ると、『上宮聖徳法王帝説』では538年、『日本書紀』では552年となっている。ともに百済の聖明王が仏像と経論(仏の教えを記した経と、経の注釈書である論)とを献じたとある。
仏教の渡来に関する記述には、いつも仏像と経論が並べて書かれている。これは注目すべきことである。というのは、仏教の伝来のときに、経論だけではなくて、必ず仏像を伴っていたことが、当時としては人々に大きな衝撃を与えただろうと思われるからである。
すでに述べたように日本在来のカミは、形は無いものであった。人間が五穀豊穣や国家の安穏を祈る際にはカミの来臨のために「ヒモロキ」(神籬)や「岩クラ」などと呼ばれる臨時の神の座を作って、そこにカミを招請して、数々の食べ物を捧げ、祈願する。
祈願が済むとカミは帰還せられる。そのありかは定かならぬものである。カミはいつも天や山などの高いところなど、人界とは隔絶した場所にいて、人間には見えない存在だった。
ところが新たに輸入された「仏」は精妙な美しい像であった。それが立派な堂舎に安置される。人々が新来の「仏教」なるものに接したとき、その経典を読み、その内容を理解することは到底一般の人には不可能だったはずである。したがって、「仏教」はその教義よりも「目に見える像」を拝むものであった。
当時の貴族も一般の民衆も、その新来の偶像と堂舎の精巧な美しさに驚き、これを拝み、これにひざまずくことが幸福をもたらすと聞いて、誰しもそれをあがめ、礼拝する心を持っただろう。
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