2008年3月29日土曜日

第四十一回 -2・26事件の失敗が意味するもの-

結局、2・26クーデターは失敗に終わった。

一番の失敗は、明治維新のときに、維新派が、まず天皇を手中にしたように、宮中を占拠して天皇を掌握しなかったことだ。天皇を掌握し、青年将校たちの意思を天皇自みずから天皇の言葉でいわせたならば、軍幹部も、重臣も政治家たちも、青年将校たちのいうままに動いたことだろう。だが、青年将校たちは、そんなことは夢にも考えていなかった。何よりも、クーデターを起こした後のプログラムすら全く作っていなかった。

天皇は、君側の奸たち、そして国をねじ曲げている政、財の巨悪を取り除くという青年将校たちの必死の思い、行動を誰よりも理解されている。行動さえ起こせば、そして軍の幹部が説明すれば、天皇はただちに的確な聖断――青年将校たちが想定しているような判断を下し、真崎を中心に、新しい軍事政権が作られるもの、いってみればクーデターの決起将校たちは自分たちの夢想がそのまま実現すると信じ込んでいたのだ。

だが、天皇は、いきなり「昭和維新」の決起は叛乱だと決めつけた。

この点については御廚貴に問うた。
「彼らは、天皇の聖断を得て、軍人内閣をつくる、というシナリオは書いていた。ところが、彼らが宮中に乗り込ませた軍人たちは、決定的に天皇の信頼を失っていて、天皇に対してもの申すことが全く出来なかったわけですが、青年将校たちは、そんな状態だとはまるで知らなかった。根本的誤算です」

また秦郁彦は、「天皇は合理主義者で、皇道派が唱える精神主義をとことん嫌っていた。ようするに美濃部達吉の〝天皇機関説〟を支持し、天皇親政などあり得ないと考えていた」のだと説明した。

2・26クーデターを敢行する必然性は、当時の政治、経済、社会情勢を点検する限りでは皆無といってよく、つまりは若い将校たちが北一輝などに洗脳された思い込みゆえの暴走なのだといえるが、この事件のもたらした影響は、きわめて大きかった。

軍部の発言権が強まり、露骨に介入するようになったのである。なぜなら、2・26事件が、天皇や西園寺が頼みとする人物を一掃してしまったからである。不幸にも決起青年将校たちの狙い通りになってしまったのである。

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