2008年3月20日木曜日

第三十二回 -廃仏毀釈②-

こうした通達がどんな形で実行されたかを見るための代表として比叡山の日吉権現の状況を取り上げてみよう。

三月二十八日の布告により、仏像をもって神体としている神社は神体を改め、かつ鰐口(神殿の軒先につるす中空・円形の下方が横長にさけている銅製の道具。垂らした太い緒をもって鳴らす)や梵鐘などの仏具を撤去すべきこと。この布告は、同三十日に大津裁判所から日吉権現の社司に通達された。翌四月一日に日吉権現の社司は延暦寺の事務係に通知して、権現の本殿の鍵を引きつぎたいと申し入れた。寺院の側ではこれについて討議したが議論沸騰、決着できなかった。社司は再三催促し、お互いに殺気を帯びるに至った。そこで社司の生源寺氏、樹下氏は兵士と共に、坂本の村民数十人を引率して日吉権現の本殿に乱入し、仏像仏器などはすべて焼き捨て、仏像などを収める厨子を投げ出し、多数の中にはそれらを槍の石突きなどで打ち砕き、火の中に投げ込むものもあった。


いま一つ深川富岡八幡別当の永代寺の例を見ると、

神仏分離の令下るや、元八幡宮の別当寺である永代寺の住職は還俗して、神官となり、寺の建物はことごとく毀され、仏像仏具は売却あるいは焼き捨てなどしたが、中の一坊、吉祥院だけは残し、神社と関係ないものとして墓地の管理者とした。八幡宮の御神体は永代寺の本尊阿弥陀如来だったが、その他、不動王、愛染明王の二つの像が本尊の外陣に安置されていた。不動王の像はその後散逸したが、阿弥陀如来と愛染明王の像は吉祥院に保存されている。


こうした動きは全国に及び、例えば奈良の興福寺の五重塔(現存)は二五円で売りに出された。買った人はそれをそのまま燃やして、金具だけを取ろうとしたのだが、近所から危険だという非難が出て、沙汰止みになったという。

先の富岡八幡の例でも分かるように、神社であるのに、その本尊は仏像であったものが当時は多かった。それは、仏が神の領域に入り込んだ神仏の習合であった。

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