2008年3月19日水曜日

第二十二回 -本地垂迹-

仏教はインド・中国の地で、それ以前にあった民衆の信仰の体系の中へと進出し、広まっていくという経験を積んでいた。つまり既存の宗教をどのように取り込み、あるいは克服していくかについて経験を持っていた。その経験の一つに、既存の宗教の神々は、実はインドのホトケが仮に姿を現したものなのだという論法があった。

「権現」という名については既に述べた。日本ではまた別に、それを本地垂迹といっている。「本地」とは、インドの仏菩薩といい、それが仮の姿をとって現われたものを「垂迹」というのである。この本地垂迹という考えを鎌倉時代の仏教説話集の『沙石集』に求めてみよう。

本地垂迹ということは中国にもあったことである。仏法を広めるために儒童と迦葉と定光という印度の三人の菩薩が、かりに孔子・老子・顔回という姿をとって中国に現われ、それぞれ儒教・道教の書物によって人々の心をやわらげ、その姿に仏教を広めたから、中国の人々は皆仏教を信じた。わが日本国では、威力をやわらげた仏教の神々がまず現われて人々の荒い心をやわらかくして、仏法を信じる方便とされたのである。

薬師如来や大日如来が日本の香取神宮、伊勢神宮に関係するといった考えは、平安時代以降に仏教徒の間から広められた説き方、考え方で、中国の孔子・老子がインドの菩薩の仮の姿であるということも、無智な人々に対する教化のための単なる方便的言説である。
しかし、こうした言説の結果として、ホトケとカミとは本来同じもので、同じ働きをするという考え方が日本の民衆の間に行きわたった。こうした神仏の習合は、いわゆる神道において顕著である。

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