2008年3月7日金曜日

第十六回 -天皇権威の低下と存続 江戸時代-

江戸時代においては、天皇は政治的実権を取得することなく、実際の石高は1万石(のち3万石)程度の経済基盤しか持たなかった。また禁中並公家諸法度により、その言動も幕府から厳しく制限された。庶民の尊敬の対象は大名や征夷大将軍(上様、将軍様)に向けられ、天皇や公家は庶民とは間接的に縁のある存在(天子様)として敬意が払われる程度であったとも考えられている。

しかしながら公家は実権は失っていたものの茶道・俳諧等の文化活動においてその嫡流たる天皇の権威高揚に努め、天皇は改元にあたって元号を決定する最終的権限を持っていたこと(元号勅定の原則)を始め、将軍や大名の官位も、儀礼上全て天皇から任命されるものであり、権威の源泉として重要な意味を持つ存在であった(これに対しても幕府が元号決定や人事への介入を行い、その権威の縮小・儀礼化を図っている)。

しかし18世紀後半から、征夷大将軍の権力は天皇から委任されたものであるから、天皇に従わなければならないとする大政委任論が学界で提唱されるようになり、将軍の権威付けとともに天皇の権威性も見直されていくようになっていった。そうした運動が幕末の尊皇攘夷運動へと繋がった。

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