2008年3月7日金曜日

第十三回 -天武天皇以後 奈良~平安時代-

天武天皇の死後、皇后の持統天皇が即位し、694年に藤原宮へ遷都した。

その後、元明天皇の時代に710年に平城京へ遷都

元明天皇の孫にあたる聖武天皇は、奈良の東大寺に大仏を造立し、752年には開眼供養が行われ、聖徳太子に始まる仏教理想に基づいた国づくりが一つの頂点を迎えた。これには、仏教に熱心な光明皇后の力も大きかったとされる。

794年、桓武天皇が京都の地に新しい都・平安京を定め、中国の歴代皇帝が都の南郊で天帝を祀る儀式を日本の天皇として初めて行うなど、最も中国皇帝を意識した天皇だった。吸収や東北などの辺境の地へも律令制度を浸透させ、東北に住む蝦夷の反乱には、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じて派遣し、これを鎮圧した。

天皇の権威が確立してくると、天皇は直接的に政治に関わる必要が減ってきた。

一方、貴族の中でも天皇家に近い藤原氏は、一族の娘を天皇の后にし、その皇子を天皇に擁立することで、天皇の外威として勢力を伸ばすようになる。
藤原良房は866年、皇族以外の臣下として初めて摂政に就任した。良房の死後、養子の藤原基経はすぐに摂政へ就任し、884年に年配の光孝天皇が即位した際には、事実上の関白に就任した。
このように、藤原氏は天皇が幼いころは摂政として、成長してから関白として、政治の実権を握るようになった。

ここに権威と権力の二重構造という日本独自の統治システムが誕生する。

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